6月6日
ジョエル・オズボーン 兄 「神様から出ている教会」
使徒言行録5:12-42
(この週は音声はありません。)
この話の中で強調されている、主要な人たちの一人はガマリエルです。ラバン・ガマリエル I (彼はそれに該当しませんでしたが、一般にサンヘドリンの長に対して用意される用語)、又は長老ガマリエルとしても知られている彼は、ユダヤ教の律法の博士であり、使徒パウロの先生でした。33節において、彼は全ての人々から称賛(又は尊敬)されていたと言われています。彼の性質は、嫉妬(17節)、恐れ(28節)、激怒(33節)に満ちていた、他のサンヘドリンの構成員たちとは大きな対比を示しています。この章における彼らの行為は、この種の性質と合致しています。
彼らの脅迫と力の行使にもかかわらず、ペテロは恐れることなく、人間の上に臨在する神に対する従順を強調することにより応答し、30〜32節において三位一体の認識を含む福音の一面までも与えています。この章の概観、とりわけ14〜16節を通して、神の力が働き、それが聖霊を通じてイエスにある人々によって経験される時、その共同体は成長することが分かります。人々は自然にその種の共同体に引き寄せられ、その一部分になることを望みます! しかし真の知恵の種は、使徒5:39〜39における、ガマリエルのサンヘドリンに対する応答から来ます。私たちはこれを如何にして実際的に我々の生活や、私たちの教会に適用できるでしょうか?私たちは3つの問いをする必要があります。1) 私は神によって導かれているか、あるいは私自身によってか?
2) この教会はキリストに属するか、あるいは私にか? 3)
教会に何かが起きた時、私たちはその原因を見極めねばならない−それは神に根ざしているか、あるいは人間にか?
私たちは最初の問いを、祈りと、その祈りの焦点によって決定することが出来ます。−私たちは神様に聞き従っているか、そして神様を求めているか? また私たちは、祈りと神の言葉を通じてその生活の中に神様のリーダーシップを望んでいる、他の人たちと時間を共に過ごしているか? 41節において、使徒たちは苦しみの時でさえ喜びを持っており、これは彼らが自分たちの目的を理解していたからです。そして、教会の目的はキリストに喜びを、そして神に栄光を帰することです。教会が謙遜、(信仰)告白、賛美の場であるとき、私たちはキリストに属しています。最後に、質問3から、重要なこと(秘訣)は識別力だと思います。私たちは何かが、あるいは誰かが神様に属するかどうか、どのようにして知りますか?私たちがそのような状況において霊の実を経験する時、それは私たちの識別過程を助けると信じます。これはまた、将来のリーダーシップについて考える時の鍵となります。しかしながら、私たちの目指すものは霊を追い求めることであって、霊の実の追求ではないことを思い起こさなければなりません。その実は霊から自然に来るものです。後でステファノのような例に見るように、神の霊は人々、場所、及び状況において存在し、そしてガラテヤ5章で、実は霊から生まれると言われています。
そこで、私たちの挑戦はイエスの弟子として生きることです。個人として、及び教会として、私たちが神のものとして、そして神に属するものとして生きることは極めて重要なことです。神様が私たちの旅路を常に祝福し、その道の一歩一歩において導いて下さいますように。
June 6, 2010
"A Church That Comes From God" Acts 5:12-42 by Joel Osborne
(The voice file is not available for this
week.)
One of the key people highlighted in this story is Gamaliel.
Also known as Rabban Gamaliel I (a term generally
reserved
for the head of the
Sanhedrin, though he wasn't) or
Gamaliel the Elder, he was a doctor of Jewish religious law
and the Apostle Paul's teacher.
In verse 33, it says
that he was a man who was
honored (or respected)
by all of the people.
His character
stands in great contrast
to the other members of the Sanhedrin who were filled
with jealousy (v. 17),
fear (v. 28), and
furious anger (v. 33). Their actions in the chapter are consistent
with this kind of character
too.
Despite their use of intimidation and
power, Peter fearlessly
responds by emphasizing obedience to God over man, and even gives a snapshot view of the gospel including recognition
of the Trinity in
verses 30-32.
Through the overview of this chapter, especially
verses 14-16, I
realized this: When the power of God is at
work in, and is experienced by the
people of Jesus through the Holy Spirit, the
community
grows. People are naturally
drawn to that kind of community, and
they want to be a part of it! But the real seed of wisdom comes from Gamaliel's response to the
Sanhedrin in Acts 5:38-39.
How can we apply this practically
to our lives and to this church? We
need to ask three questions: 1)
Am I being led by God, or by
myself? 2) Does this church belong to Christ, or to me? 3)
When something
comes up in the
church, we must discern the origin: is it of God, or of
human?
We can determine the first question by
our prayers and our
prayer focus: are we listening and asking God?
Also, are we
spending
time with others who desire God's leadership
in their lives through prayer, and through His word? In verse 41, the apostles have joy even their time of suffering and
this is because they understand
their purpose, and the
purpose of the church is to bring joy to Christ and glory to God.
When the church is a place of humility, confession,
and celebration, we
are belonging to
Christ.
Finally,
from question 3, I
think the key is
discernment. How do we
know if something or
someone is of God? I
believe when we experience the fruit of the Spirit in
that situation, it
helps our discernment process. This is also key when thinking
about future leadership.
However, we must remember that our goal is to pursue the Spirit, not
the fruit of the
Spirit.
The fruit comes naturally
from the Spirit.
As we'll see later in examples like Stephen, God's Spirit
rests on people, places and situations, and in
Galatians
5 we are told that fruit is born of that.
Our challenge, then, is to live as Jesus' disciples.
Individually
and as a church, it is crucial for us to live as those being of and belonging to
God. May God continue to
bless our journey, and
guide us in each step of that way.
6月13日
菅 政子 姉
証し 「主の御業を思い続け」
及びジョエル・オズボーン兄の関連説教
Testimony by Masako Kan “Remembering the
deeds of the Lord”
and the relevant preach by
Joel Osborne
音声はこちらから
御名を讃美します。私の人生の来し方を証しさせて頂きます。
私は母を小学校3年の時に亡くしました。父は母の供養のために、近所の墓所にあるお地蔵さんに炊き立てのご飯を供え、私は小屋の掃除をしてともに祈りました。
この時、私は何となく違和感がして拝むべきものは別にあるとおぼろげながら思いました。まだ神を知らなかったのでしょう。人すべてに与えられた信仰心の芽生えと申しましょうか。
私の育った時代は、日中戦争、太平洋戦争として私達は軍国日本の教育を受けました。(岐阜県にて)やがて、昭和20年8月敗戦に終わり、その後の国内でのあらゆる混乱の中で、食糧難、価値判断の騒ぎで乱れていました。徳島である時、近在に伝道所のあることを知りました。丁度クリスマスのある頃で、「天には神の栄光、地に平和」のメッセージが強く心を引きました。その後は、飛ぶようにして伝道所に通いました。
その後結婚、半年後に夫の職務上のつまずきから、出産を控えていた私は父の転勤について東京に移りました。その時進駐軍によって薬剤噴霧を背中に浴び、船に乗りました。
その後別れ別れに住んでいましたが、何の手違いか、永遠の別れになるとは思いもよらず、10年後先方は新たな結婚を選びました。
強くなろうと祈っているうちに身体中が光に包まれました。
教会に通っていましたが、ある日の説教で「するとわたしの恵は充分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。だから、キリストの力がわたしのうちに宿るようにむしろ喜んで自分の弱さを誇りましょう。」というみことばを頂きました。
身体中が電気で打たれたように、このみ言葉が心を刺し通し、とどまるところなく、涙を流しました。
すぐ隣に住んでいた、5歳になったばかりの坊やが「今朝、お父ちゃまが御膳を投げつけたの。」「今日はお母ちゃまが怖いよ。」って訴えるのでした。私はイエス様のお話を読んで聞かせました。やがて坊やは金沢に引っ越しました。そして、子供の白血病にかかって亡くなる前に、「僕は神様の子供ですから天国に行きます。」とハガキをくれました。
あの時のお話が心に宿って信仰をもって証しをしてくれました。「幼子のごとくならなければ、神の国に入ることはできない。」この坊やによって信仰の道を教えられました。
昭和40年、父が急死し、さまざまな行事をなし終えて久しぶりに大工町を歩いていた時に、この世の現実の中で天国を感じた忘れえぬ思い出がありました。その後家を建て、一軒は神様の御用のために使わせて頂こう祈っておりました。丁度、ジョン・オズボーン兄の発案で、あるLSTのお宿にさせて頂きました。およそ10年間、楽しく皆様にも喜んでいただけました。また1方で、家庭集会も小幡兄の時まで続けました。
天使の歌声か、ある日かすかに美しい歌声が心に響きました。内在する罪の問題「自分の望む善を行わず望まない悪を行っている。」自分を省みるとき、知らず知らずのうちに間違い、自己中心による過ち、罪人としての思いを強く感じます。人間の原罪と思います。
私も年を重ねて明日で87歳になります。日々衰えていく肉体、老いの問題、不安、死を思うことが多くなります。神は「あなたの悩みの日に我を呼べ。わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう。」との主のみことば、ここに希望があります。終わりまで、より良く神の愛とお憐れみによって過ごしたいと思います。教会の兄弟・姉妹方のお支えを感謝いたします。
ヨハネ14:6「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでも私によらないでは、父のみもとに行くことはできない。」人生全てのことは過ぎ去って行きますが、神の言葉は永遠です。その時その時に「求めよ。さらば与えられん」で、時にかなって良き道を備えていてくださいます。
誠にバイブルは私どもの生きる道を示しています。それに従っていくことを生活の基本として、愛なる神への感謝を覚えます。
アッシジのフランシスコの祈り
主よ あなたの平和の道具としてお使い下さい
憎しみのあるところに信頼を
誤りのあるところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに喜びをもたらすものにして下さい
慰められるよりも慰めることを
理解されるよりも理解することを
愛されるよりも愛することを私が求めますように
なぜなら わたしは与えるから受け
許すから許されて 自分を捨てて死ぬことによって
永遠の命を頂くのですから
ひとり子を賜うほどにこの世を愛された神に感謝するものであります。
最後にイエス様が奇跡を行われたように、信仰のある所に神のご計画を感じるものであります。ご静聴を有難うございました。
6月20日
恒枝 篤史
兄 「問題は成長のチャンス」 〜聖霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち〜 使徒言行録6:1-7
音声はこちらから
教会が成長するにしたがい様々な問題も発生してきた。アナニアとサフィラの事件もその一つでした。今日の箇所では、信者の数が増えるにつれて、配給についての問題が生じてきたと記されています。エルサレム教会は、教会員がささげた献げ物の中から、身寄りのないやもめの食事の配給をしていました。しかし、ギリシャ語を話すユダヤ人と、ヘブル語を話すユダヤ人の間で、問題が起こります。
同じクリスチャンではあっても、言葉や文化の違う人々が一緒に教会生活をする中で、様々な行き違いや問題が起こっていた。使徒たちはその対応に追われて日々忙殺されていたというのです。そして、そのことのゆえに、使徒たちの費やす時間やエネルギーが、その本来の務めのために用いることができないような状況に陥っていってしまったのです。しかし、私たちが注意したいのは、聖書はこのような状況を、決してマイナスの要素とは見ていないということです。
聖霊によって始まって、聖霊によって導かれた教会だった。その教会にも問題があった。問題にぶつかったときに、聖霊によって、どう問題を解決していくのか、ルカは見てほしかった。では、使徒たちは、問題をどのように具体的に解決していったのでしょうか。今日はそのことを深く掘り下げて見ていきたいと思います。
June 20, 2010
"Problems: A Chance for
Growth” Acts 6:1-7 by Atsushi
Tsuneki"
As many
joined the growing movement, various
problems started to happen. Ananias and Saphira’s incident was one of
them. In today’s verses, Verse 1 tells us the crisis happened as the number of disciples was
increasing. A
problem happened over feeding of widows. The conflict occurs between the
Greek-speaking Jews
and the Hebrew-speaking
Jews, concerning
the feeding of the widows.
And because of that, the apostle’s time & energy were not able to spend for their primary
mission. But I want to pay attention to
the fact that the Bible is not necessarily seeing this situation as a
minus. This was the Church started by the Holy Spirit, and
was led by the Holy
Spirit.
That Church had a problem too. Luke wanted us to see how the
church tackles aand overcomes problems by the
power of the Holy Spirit.
Then, how did the apostles solve the issue concretely?
6月27日
恒枝 篤史兄 「主と交われば」 〜ステファノから学ぶ〜
使徒7:54-60
音声はこちらから
箴言に、次のような言葉があります。
「知恵のある者と共に歩けば知恵を得、愚かな者と交われば災いに遭う。」(箴言13:20)
「鉄は鉄をもって研磨する。人はその友によって研磨される。」(箴言27:17)
「いい友だちを持つことは大事なことだよ」、「いい人生の師に会う人は幸せだよ」、ということを表わしている御言葉だと思いますが、もっと素晴らしいことがあります。それは、「私たちがキリストとともに時間を過ごすと、キリストのかおりを放つようになる」、ということです。
では私たちは、どのようにすれば、このイエス・キリストのかおりを放つことができるようになるのでしょうか。どうすれば、私たち自身に、イエス様の匂いが、しみついてくれるのでしょうか。今日は、使徒言行録に登場する、ステファノという人物に注目しながら、そのことについて考えていきたいと思っています。
この、ステファノという人物は、実は、教会の歴史の中で、最初の「殉教者」になった人です。まず、ステファノが、どのような人だったのか、どのように殉教していったのかを学び、私たちの信仰のあり方について考えていきたいと思います。
June 27, 2010
“The More You
Spend Time with the Lord” Acts 7:54-60 by Atsushi Tsuneki
“He who walks
with the wise grows wise, but a companion of fools suffers harm.”(Prov. 13:20)
“As iron
sharpens
iron, so one man
sharpens
another.”
(Prov. 27:17)
These words are
telling us
that “It is crucial for us to have good friends” or “it is important for
us to have a good teacher.” But
there is a much better fact. That is: “The more time we spend with Christ, the more we spread the fragrance of
Him.”
Then, how are we able
to spread the fragrance of Christ? How can we
have the smell of Jesus? Today, we want to focus on Stephen, the first martyr in the
church history, and
think about our way of
living.