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12月の礼拝の説教です
 

 

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12月6日
マーク ハンコック兄弟 「3つの印(しるし)」 
聖書箇所 マタイによる福音書 1:18〜23

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12月13日
恒枝  篤史兄弟 「あなたがたは世の光です」 
聖書箇所 マタイによる福音書 5:14〜16

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 「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイ5:14−16)

 皆さんは、この言葉を聞いて、どう思われるでしょうか。自分の弱さばかり見てしまって、「私たちが世の光となって、人々の前でその光を輝かせて、人々がその良い行いを見て、天におられる父があがめられるようになる」、なんて、到底無理なことだ、と思って諦めてしまうことはないでしょうか。そんな私たちが一体どうしたら、「世の光」となることができるのでしょうか。神様は、「そんなお前でも、世の光となれる!」と言っておられます。

 私たち一人一人の光は、小さいかもしれません。でも、考えてみてください。まっくら闇では、たった1本のろうそくの光でも、貴重です。暗闇が暗ければ暗いほど、一つの光は輝くことができます。同じように、この社会がまっくら闇のようであればあるほど、私たちは逆に輝くことができるのです。

 さらに、大きな恵みがあります。 それは、一人一人の光は小さくても、光が集まれば、もっと輝くことができるということです。光は一つでは見えにくいこともあるかもしれませんが、たくさん集まれば、もっと輝くことができる、ということです。人生の荒波の突風が吹いて、(ふっ)と消えてしまいそうになったとしても、ほかのろうそくから火をもらって、また明るく輝くこともできるのです。私たちも一人では目立たないこともあるかもしれませんが、みんなで集まれば、もっと輝くことができる、ということです。それが、教会なのです。

 イエス様は別の箇所で、こう言われました。
「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネ13:34〜35)

 「わたしがあなたがたを愛したように、お互いに愛し合いなさい。」 キリストの弟子であることを他の人々に認めてもらうために最も必要なのは、知識や道徳的な生活ではない。「互いに愛し合うこと」なのです。これが、イエスさまの愛の光を反射するということではないでしょうか。キリストを中心にして、愛の交わりの場を作ることによって、暗い世でも光ることができるのです。

 

12月20日
広瀬 正 兄弟 「地の果ての証人 ビックスラー」 
聖書箇所 使徒言行録 1:8

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 今日はキリストの神様がどのようにして日本に伝えられたかについてお話したいと思います。

 今日の話は、茨城キリスト教学園の創始者でありまた、お茶の水教会の伝道者としても活躍していたO. D. ビックスラーについてです。

 いまから90年前、1919年、大正8年1月17日に一人の若いアメリカ人が横浜港に上陸しました。彼の名前はO. D. ビックスラー、まだ新婚でしたが、妻のアンナをアメリカにおいて日本にやってきたのです。かれはキリスト教を日本に広めたいと思って、やってきた若者でした。

 彼は横浜のマッケレブのもとでしばらく日本語を勉強しましたが、開拓伝道をするために祈り求めて与えられたのが、那珂郡大宮市の長沢というところでした。長沢という場所は、水郡線の山方宿の駅から山のほうに約6km行ったところにあります。

 長沢は今でも家が4,5軒の寒村です。当時は電気も水道もありません。当時のアメリカから見たら、太平洋の反対側にある日本は「地の果て」だったでしょう。長沢はビックスラーにとっても地の果てだったと思います。彼は、今日の説教の個所、使徒言行録1:8の「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。・・・・・そして、・・地の果てに至るまで、私の証人となる」という御言葉を真正面から受け止めたのです。彼は、使命感に燃えて長沢にやってきたのです。

 現在の教会跡地のそばには、今ではバス停があり、一日4本のバスが通っています。ビックスラーは1920年に長沢に教会をたてました。また、教会の後ろの小高い丘に住宅を建てました。現在この建物はひたちなか市額田のチルドレンズホームに移設されています。

 建物が建った後に、アメリカから妻のアンナがやってきます。2人にとって長沢はものすごいカルチャーショックだったと思います。しかし、それよりもさらに強いカルチャーショックを受けたのは村人たちでした。アメリカ人を一目見ようと、遠方から弁当持参で、日本人たちがやってきたことが記録に残っています。

 そんな状況で始まった伝道ですが、ビックスラーはとても開放的な人で、しかもとても日本語が堪能で茨城弁が上手でした。一方、アンナ夫人は日本語はうまくありませんでしたが、ケーキやビスケットを作っては人々をもてなし、そのうちに控えめなアンナ夫人はは「日本人よりも日本人らしい」と言われました。

 なによりも二人は伝道の夢に燃えていたのです。ビックスラーは馬に乗って、近隣の村を訪問し伝道して回りました。のちにビックスラーは先に亡くなったアンナ夫人をしのび、「私よりもどれほどアンナのほうがキリストを伝えたか分からない」と言ったそうです。

 アンナ夫人は、ドロシー、メアリー、長男のディーンの3人の子供たちを産み育てました。草深い田舎の町で、3人の子供たちを育てるのは想像以上に難しかったかもしれません。長男のディーンは戦後お茶の水教会で伝道し、現在はカリフォルニアで伝道しています。

 ビックスラーの活動は着々と実を結びます。山縣と小瀬にも教会がたてられました。その後長沢を中心に伝道をしている時、1938年にアンナが病気になります。アンナさんの病気療養のため、ビックスラー一家はアメリカに帰りました。その時大変不幸なことが起こりました。その翌年、日本とアメリカが戦争を始めたのです。ビックスラー一家は日本に戻ってこれなくなりました。そこで、シカゴで伝道活動をし教会を作りました。

 1945年に5年間続いた太平洋戦争が終わります。戦後の混乱の中、ビックスラーはすぐに日本に戻ってきます。キリストの教会の代表として日本に戻り、まず、東京に教会を、またキリスト教の学校を作るという目標をたてました。キリスト教を教える学校が是非必要だということで、彼らはまず学校の構想を練ります。彼らはそのための募金のための事業団を作り、大甕にあったゴルフ場の半分を日立製作所から買い取ります。1947年1月27日に学校建設に没頭しているビックスラーのアンナ夫人がなくなります。脳溢血でした。学校創設の直前でしたのでビックスラーは、アメリカでの夫人の葬儀に出席できませんでした。

 学園創設時、深い悲しみの中でビックスラーは学校行事に出席しました。彼は長沢教会の跡地に、アンナ夫人の思い出の碑を建てました。1947年11月16日に創立祈念礼拝が行われ、250名のクリスチャンが集いました。そして1948年4月19日に文部省から財団法人の認可が下り、ビックスラーが初代理事長に就任しました。シオン学園高校は4月19日に新入生60名でスタートします。

 学校の建物がなかったので、当時大甕にあった日立電鉄の作業小屋をかりて2クラスで授業をしました。その建物を除くとキャンパスは一面の野原でした。その後学園はどんどん発展します。現在では学生数4000人、建物は40棟にも及びます。 いまから90年前長沢で始められた、ビックスラーの伝道が茨城キリスト教学園の原点であると私は信じます。ビックスラーが長沢で伝道を始めてから30年後に茨城キリスト教学園の創設で、ビックスラーの信仰が実を結んだのです。

 6年前に息子さんのディーンさんが長沢を訪れ、お母さんの石碑が草で覆われて深い悲しみにとらわれ、去年からその移設が考えられたのです。いろいろな移設先が考えられましたが、最終的に茨城キリスト教学園内に移設することが決定し、今年の11月30日にディーンさんを呼んで除幕式が行われたのです。

 ディーンさんは、お母さんの安住の地ができたといって、喜んでくださいました。アンナ・ビックスラーは若い時に日本にやってきて、福音の種をまきました。53歳という若さで天国に召されましたが、その生涯を日本の伝道のために捧げました。今、彼女は茨城キリスト教学園の小高い丘の上から学園の営みを見守っています。

 一方O.D. ビックスラーはお茶の水教会で活動した後、1968年アメリカを旅行の最中にメンフィスで亡くなりました。72歳でした。彼は50年間をキリストの証人として、日本のために捧げました。日本政府は、彼のために勲四等旭日賞を与えました。 福音のために地の果てまで出向いて行く、そして一粒の麦となって死ぬまで働く・・・。私達も、死ぬまで一粒の麦として働けるよう祈らずにはいられません。
 
 私達がまいた種が、明日実を結ぶかはわかりません。しかし、長い時間がかかりますが、いつかは実を結ぶのです。
地の果ての証人となった信仰の先輩たちに励まされながら、私達も忍耐強く信仰の種をまきましょう。
最後にヨハネの福音書12:24を読んで終わりにしたいと思います。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」

12月27日 
キース・ランカスターさんを招いての賛美礼拝

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