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1月の礼拝の説教です
 

 

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1月3日
恒枝 篤史 兄弟 「一番大事なことを一番大事に」 マタイ25:1〜13

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「目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」(マタイ25:13)


  私たちの群れにも、昨年ご病気で亡くなられた方、天寿を全うされた方、若くして亡くなられた方を覚えます。誰一人として、「その日、その時」を知っていた方はおられません。それは、私たちとて同じです。それは神様が決めることであって、誰一人介入できない。私たちにできることは、その神様の御心を受け入れて、その御心にふさわしい生き方をする。それだけなのではないでしょうか。

 先立たれた方は、私たちに大切なことを呼びかけて下さっていると思います。それは、「その時は、誰も知らないのだから、今なすべき一番大事なことを、一番大事にして生きなさい」、ということなのではないでしょうか。そういう大切なことを忘れていると、ついつい、二番目のこと、十番目のこと、時にはそんな順番にさえ入らないような、どうでもいいことを大事にしてしまって、そんなある日、ふいに「その時」は来るんです。私たち、今、本当に目覚めているのか。自分に問い直したい。常に目覚めて、一番大事なことを、一番大事にしたいと思います。

 

1月10日
恒枝 篤史 兄弟 「神の時 〜むなしい人生から、意味のある人生へ〜」 コヘレトの言葉3:11

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「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神の行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(コヘレトの言葉3:11/新改訳)

「人は、神の行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない」のです。私たちには見通しが利かないんです。そんな中で、私たちは誰を信頼しますか?自分自身ですか?それとも、全能なる、時をも支配しておられる神様ですか?

このお方こそ、アルファであり、オメガです。初めであり、終わりである方です。
試練の中でも、この神様を信頼して、人生で起こるすべてのことを神様の御手に委ねていけば、すべてのことが意味のある人生へと変えられていきます。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28/新改訳)

このお方に、すべてを委ね、信頼して進むとき、苦しみも悲しみも痛みもすべてが益と変えられるんです。そのとき、私たちの人生は、むなしい人生から、意味のある人生へと変えられていくんです。

今週も、いろんなことが待っていると思います。問題もあるかもしれません。しかし、そんな中で、「すべてのことを働かせて益としてくださる」神様に信頼して、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」、その神様を信じて、歩んでいこうではありませんか。

 

1月17
恒枝 篤史 兄弟 「この道の者」 ヨハネによる福音書14:6  証し ジャネット・ポメロイ姉妹

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 使徒言行録によると、キリスト教は、「この道」と呼ばれていました。そして、信者たちは「この道の者」と呼ばれていました。私たちの信仰の歩みは、「神に向かう旅路」であり、「神と共に歩む旅路」です。「道」は、私たちを「目的地」に導くわけですが、一瞬にして到達するわけではありません。時間がかかります。「平らな道ばかりである」ではなく、むしろ、「山あり谷ありの道」なんではないでしょうか。しかし、それは、「成長への道」です。少しずつ、いろんなことを通されて、砕かれて、より謙虚にさせられていく。イエス様の似姿に変えられていくプロセスなんです。生けるキリストを信じ、私たちの生活全体が、「生けるキリストとの交わりの中にあり、キリストによって生かされていくこと」、それが「道であるキリストを生きる」ということなんではないでしょうか。

 

1月24日
恒枝 篤史 兄弟 「あなたは救い主、生ける神の子です」 〜知識から成長(変えられること)へ〜 マタイによる福音書16:13〜19

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 なぜ岩か。ペトロの何がそんなに堅固な岩なのか。ペトロの何を礎として教会を建てようというのか。それは、救い主との「私とあなた」というまっすぐな固い絆、「つながり」です。ペトロが目の前のイエス様に向かって、「あなたは救い主です」、「あなたを信じます」と言って、イエス様とまっすぐにつながった時に、イエス様は、「この男は、この俺を信じて、つながってくれた。このつながりから、すべてを始めよう。」 そう決心して、教会をお始めになりました。

 「あなたは救い主です」「あなたがこの私を救ってくれる」と、まっすぐにイエス様とつながるところにしか真の救いはありません。いかに聖書を愛し、いかに聖書に精通していても、いかにキリストの教えに感動して従おうとしても、聖書が教える唯一の救いの道であるイエス・キリストとの個人的な関係を持たなければ、クリスチャンにはなれません。どんなに聖書の話を聞いても、どんなに研究しても、たとえ聖書を全部丸暗記したとしても、聖書が私たちに与えてくれる新しい命を私たちの内側に受け取るまでは、何も起こらないんです。

 「しかし、主の方に向き直れば、覆いは取り去られます。ここでいう主とは、“霊”のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」 (2コリント3:16-18)

 鍵は、「イエス様とつながっている」ことです。それ以外に、人を変える方法はありません。イエス様を信じたときに、もちろん大きな変化が起こりますが、その後は変わらないというのではありません。毎日、私たちがイエス様とつながり、イエス様に思いを向けるときに、聖霊様が働いて、主の似姿へと少しずつ造り変えて下さるんです。私たちが本当にイエス様とつながる教会、お互いがチームとしてつながる生活を生きていたら、私たちの周りのたくさんの人たちもいつの日か、イエス様を、「あなたこそ救い主」と言う日が来るでしょう。私はそう信じています。

 

1月31日
櫛田 猛 兄弟 「心を騒がせるな」  ヨハネによる福音書 14:1〜14

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English Summary

 クリスチャンだからいつも心が騒がないという訳ではありません。心が騒ぐ、怖くなってうずくまる、信じられなくて立ち止まってしまう。でもそれでも私たちはさまざまな問題を神様に委ねる事ができる。委ねる事で、理由はよく分からないけれど多分大丈夫だ!と信仰の平安を持つ事が出来るのです。

 でも委ねるとは祈って何もしない事ではないのです。委ねるとはあきらめる事でもありません。委ねるとはワクワクする事なのです。基本的に委ねるには2種類あります。

1)委ねて一歩踏み出すこと
一つ目は委ねて1歩を踏み出す事です。何か心配や問題が起こった時に、祈って委ねて何もしないのではなく、祈って委ねて何かを始めるのです。受験がいい例ですね。神様に委ねて何もしないと落ちてしまいます。祈りながら委ねながら勉強するのです。

 マーチン・ルーサー・キング牧師がこういう事を言ったそうです。「信仰によってまず第一歩を踏み出すのだ。階段全部を見渡す必要なはい。ただ、目の前の一段目に最初の一歩を踏み出す事だ。」その歩みも、その結果も神様に任せて精一杯の一歩を踏み出す事が委ねるという生き方です。

 祈らずに行動していると、知らず知らずのうちに、自分の願いや欲望に引っ張られてしまいます。神様のため、人のためと言いながら、いつしか不平や不満だらけになるものです。自分の思い通りにならないからですね。人間とはそういうものです。

 でも祈って行動すると、信仰からの行動になりやすいのです。祈りつつ行動し、祈りつつあぁこれじゃ駄目かとやり方を変更し、祈りつつ気持ちを変えていって神様に仕えていくのです。祈りつつ生活する、これを御霊によって生きるというのです。


「霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」(ガラテヤ5:16)

2)ただただ委ねて待つこと
 二つ目は、委ねる以外何もできない、どうしようもないという時です。万事休す、打つ手なし。自分には何もできる事がないと言う時です。これはもうただただ信頼して委ねて待つしかない。果報は寝て待てという言葉がありますが、でもこの寝る、待つと言う事も大切な信仰の現われなのです。

 イスラエルの一日は夜から始まります。
「光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。」(創世記1:5)

 信仰生活の一日は夕方から始まるのです。それでイエス様の時代のイスラエルでも一日の始まりは夕方でした。何で夜から1日が始まったのでしょう。

 人間は眠っている間は何も出来ません。どんなに心配しても悩んでも眠ってしまえば何も出来ません。眠っている間は神様に任せるしかないのです。私達が眠っている間に、神様が働いて下さっているのです。ですから眠るとはもう後は神様に任せますという事なのです。眠った時から神様の一日が始まるのです。私達が寝ている間に神様が働かれるのです。神様が夜のうちに万端整えてくれてから、私達は朝起きて活動を始めているのです。信仰者の一日は夜から始まっているのです。もし万事休すの事が起こったら、私達が何も出来ない夜に委ねるのがいいようです。

 今日の聖書の箇所で、ペテロたちはイエス様のお話を聞いて心が騒いでしまいました。イエス様のお話は13章の終りに書いてあります。簡単に言うと、もうすぐイエス様がいなくなると言う事、そして弟子たちがイエス様を裏切るという事でした。
 
 あなたはもうすぐ私を裏切る、なんてイエス様に言われたら普通は心が騒ぎます。そんなペテロに言った言葉が「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」でした。あなたは私を裏切る。でも私を信じなさいという訳です。何か不思議な言葉です。イエス様を裏切ったペテロはイエス様の何を信じたのでしょう。

 それは、私たちはイエス様によって完全に神様に受け入れられていると言う事です。あなたは私を裏切る。でも神様はあなたを完全に愛し、受け入れている。あなたを見捨てない。それを信じなさい。裏切ってしまっても自分を見捨てる事はない。自分にあきらめてはいけない。自分を赦して、また私に従って来なさい。神はあなたを愛して受け入れておられる。それを信じなさい。
 
 その証拠に、私は天国にあなたのための家を用意するためにいなくなる。そして必ず迎えに来る。あなたは間違いなく天国に行けるのだ。その希望を忘れてはいけない。そうペテロに語りかけられたのです。

 何て素敵な言葉でしょう。不完全な私たちは神様の愛を信じなければ自分を赦したり、他人を赦したり出来ないのです。ペテロはどんなに失敗しても、たとえ主を裏切るような事を繰り返しても、決して自分をあきらめ、見捨てるような事はしなかったでしょう。

 自分はクリスチャンとして失敗ばかりだった。自分はクリスチャンにふさわしくない、そう自分を責めている私たちは、このイエス様の招きの言葉を真剣に受け止めて生きたいと思います。

 これから先、心を騒がすような事が起こるかもしれません。病気になるかもしれません。事態が何にも変わらないと思えるような事があるかもしれません。それどころか祈れば祈るほど悪い方向へ行くように思われる事があるかもしれません。主を裏切るような失敗をしでかすかも知れません。信仰を見失う時があるかもしれません。でも神を信じ、またイエス様を信じていきましょう。イエス様は私達のために家を作っていてくれているのです。そしてまた迎えに来てくれるのです。その希望は私達に平安を与えてくれます。そして希望を与えてくれます。



 

 

 

 

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